人生100年と言われ、健康寿命が意識され始めて久しいです
それぞれの事情や価値観はあるとは思いますが、やはり自立した老後生活を送りたいと思うのは、みな一緒だと思います。
今回は、102歳になっても、全て自分で行動できる私の祖父のお話です
現在102歳のスペックとは
信じられないと思いますが、食事も、食器洗いも、トイレも入浴も、全て自分で行います
と言うよりも、出来そうだったら、絶対に手伝わないように心がけています。
この前なんて、裁縫していました
針に糸を通すのは以前手伝ったことがあり、今回も流石にと思ったら、今は上から押し付けると針に糸を通せるソーイングセットがあり、驚きました
それでも流石に苦戦していましたが、自力で出来ていました
先日は爪を切っていましたよ、自分で
天気が良い日は、毎日田んぼにでかけています
確か、75歳の頃囲碁を覚え始めましたが、最近の趣味は、なんと数字のクロスワードパズル!
直接本に書き込まず、ノートに書き写して、何回も解けるようにしています
今は2周目に突入している模様
どれも写真が遠目ですが、写真を撮っているのを気付かれないようにしています
いろんな意味で、意識されたくないんです
見にくかったらごめんなさい
近々、祖父愛用の日用品もアップしたいと思います
因みに、戦時は諜報部隊にいたとの事で、暗号を解読して昭和天皇から勲章もらっています
私がまだ小さい頃、
「このメダルついた賞状何?」
って聞いたことあります
終戦の一週間前に、戦争が終わることも知っていたそうです
周りの反応
100歳が近付いた頃から、役所の方や、金融機関の方がよく来るようになりした
絶対、生存確認だろ…と思いました(笑)
取材も来ましたが、地元の地方局とNHKの2つのみ受け、それ以外は断りました
嬉しいんですが、やはり負担かけたくなかったので
夕方六時からテレビで映る姿を、家族みんなで見ました
祖父が偉大すぎて、祖父に誇られる孫になりたいな…と思っていたものです
もう18年近く前の話ですが、床屋さんから
「関東大会出たらしいじゃん?すごいねぇ。おじいさん嬉しそうに喋ってたよ」
なんて話をされて、嬉しくなったのを今でも覚えています
変わらぬ生活リズムとは
朝5時過ぎに起きて、歯を磨き、仏壇に線香あげてからの朝食
朝食は流石に私の母が作っていますが、自分で納豆と卵を混ぜてご飯にかけてます
ご飯も祖父自身でよそり、味噌汁も自分で温めています
食後は食器を洗い、新聞やニュースを見ています
その後はクロスワードパズル解いたり、田んぼに出掛けたり
田んぼ(畑)から、やさいをとってきます
先日は、いんげんをとってきて、茹でていました
昼に帰ってきて、主に朝食の残りのおかずや味噌汁でお腹を満たしています
再び田んぼへ行き、夕飯の肴を収穫してきます
ほうれん草や枝豆、いんげん豆などをとってきて、茹でたり、焼いたり調理を祖父が行います
準備をしたら、入浴
特に手伝うことは何もありません
時代劇→相撲→肴の準備→入浴→17:30からの再度相撲観戦→お酒と夕飯
もう何十年もかわりません
夕飯は、収穫の野菜とお刺身で焼酎の水割りorお湯割りで一杯咲かせます
たまに、「濃すぎたわー」と言っています
相撲や時代劇をよく見ています
お刺身は、流石に家族が買ってきます
「骨を取るのがめんどくさくてなぁ」
とこぼしていたので、骨のないお刺身が好みの様子
良質な脂をしっかり摂取しています
食後はテレビを見ながらうたた寝をして、19:30頃歯を磨いて寝ます
このような生活をずっと送っています
本当の優しさとは?
祖父はずっと健康ですが、70代半ばで転んで足を骨折
100歳目前で庭で転倒し、肋骨を痛めました
庭で転んだ時は、うめき声が聞こえて、裸足で飛び出して起こしに行きました
痛くて寝られなかったらしく、夜中ずっと座っていたので、ベッドを買いました
手伝った記憶は、これくらいでしょうか?
手伝わないこと、助けないことは、悪いことでしょうか?
本来本人が出来る事を、代わりにやってあげることが必ず良いことだとは思いません
優しく見守って、自立した生活を提供する事が優しさだと思います
因みに祖父の妻、私にとっての祖母は、30年前に他界しています
私がまだ5歳で、霊安室で泣いていた時に祖父が
「もうおばあちゃんのホットケーキ食べられないなぁ」
なんて言いながら、私に笑いかけてくれたのを覚えています
本当に強くて優しくて、尊敬できる祖父だと思います
そんな祖父の生活の中から健康に関するヒントを、少しでも発信できたら幸いです
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